雀鬼・桜井章一 二十年間無敗だった伝説の雀士
桜井章一とは雀鬼(ジャンキ)というあだ名を持つ、二十年間無敗だった伝説を持つ雀士です。かつては裏世界の麻雀でヤクザや会社社長の代打ちとして麻雀を打ち、いくつもの修羅場を潜り抜け無敗を誇った雀士なのです。今は雀鬼会という団体を設立し、麻雀を通し雀鬼流という独自の人生哲学を伝え自己啓発的指導を行っています。著書も多数出版され、テレビでも取り上げられることもある、麻雀界の有名人、伝説の男、桜井章一についてご紹介します。
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桜井章一の経歴
桜井章一(さくらい しょういち、1943年8月4日 - )は東京都下北沢で生まれました。東京生まれ東京育ちです。戦後の混乱期に少年時代を過ごし、当時の遊びは周りの子供と同じように、野球やベーゴマ、メンコに熱中していたそうです。当時からのめりこむたちだったらしく、ベーゴマ、メンコは近所では最強で、年上のガキ大将にもひるむことなく、ベーゴマやメンコを巻き上げていました。幼いときから、勝負事は強かったようです。
実家は呉服屋で、父親がギャンブル好きで、麻雀や花札を好んでやっていたことに影響を受け、麻雀のルールを覚えました。ギャンブル好きな父親は、それが原因でいつも母親を苦しませていたそうです。なので、桜井章一にとって麻雀は心のどこかで憎い存在だったそうです。
大学時代
桜井章一は、学校ではとにかく勉強をしないと決めていた、と語っています。学校は勉強するところでなく、遊ぶところである、という持論を最後まで貫き、自分との約束を守りたかった、という考えのもと、勉強はしなかったようです。
しかし、恐らく勝負運、勝負勘がさえていたのでしょう、無事に大学まで進学します。新宿にある大学の工学部に通い、大学時代に本格的に麻雀にはまっていきます。大学二年生の時に歌舞伎町にある雀荘に大学の仲間と雀荘に足を踏み入れたことが最初のきっかけだったと言われています。
その時、昭和三十年代後半、まだ麻雀ブームに火がつく少し前の時代で、阿佐田哲也による『麻雀放浪記』が出版されるのも、小島武夫がテレビでイカサマ披露をするのも、少し前の時代です。桜井章一は新宿の雀荘でイカサマ技術も学び、麻雀の実力を上げ小遣い稼ぎをしていました。もちろん、ヤクザに絡まれることも多く、いくつもの修羅場を潜り抜け、喧嘩の実力も上がったようです。
次第に、雀荘に出入りしている顔見知りから、大企業の社長や専務が参加する、大金を賭けた裏レート麻雀の代打ちを依頼されるようになり、いわゆる裏麻雀の世界へも足を踏み入れることになります。大学時代から麻雀で稼ぐ、麻雀プロとして桜井章一は世に出ていきました。
卒業後、裏社会へ
工学部であったため、エンジニアとしてあるメーカーに就職が決まりましたが、とあることがきっかけでその内定を断ります。入社前に会社に呼ばれ係長から「君には、私の下で働いてもらいます」と言われたその瞬間に、とっさに「こんな奴の下では働けない」と思い、入社しないと決断したそうです。今思えば正しい選択だったとそのことに関して桜井章一は回想しています。
桜井章一は麻雀の代打ち稼業で稼いでいたため、お金には困っていませんでした。
入社を断った後、貿易会社を経営しているとある人物と出会います。桜井章一はその人物に「男のいきざま」を感じ、瞬時にその人の下で働きたいと思い、無給で働かしてもらうようにお願いしました。そして、それから十年間、その人の秘書といったような形で無給で働きました。
いつ、何時に出勤、退勤しても構わないというフレキシブルな条件で働きながら、麻雀の代打ち稼業で稼いで生活をしていました。無給で働く経緯として、社長から給料はいくら欲しいか聞かれたときに、「人生の勉強をするのだから、給料はいらない」、そう桜井章一は答えたそうです。
そうして、桜井章一はヤクザや会社社長などが大金を賭けて行う裏麻雀で、無敵の強さを誇り、新宿のみならず、その名前は全国に知れ渡り、いつしか、雀鬼というあだ名で呼ばれる伝説の雀士になりました。そして、二十年間無敗のまま、裏麻雀の世界から足を洗いました。
裏世界からの引退、そして現在の桜井章一
1980年代に入り、代打ちを引退した後、テレビ出演をしてイカサマ披露をしたり、テレビ対局や誌上対局に参加したりするようになり、一般的に桜井章一が知られるようになります。1984年、阿佐田哲也原作の映画『麻雀放浪記』に麻雀の技術指導としても参加しました。
桜井章一をモデルとした小説、漫画、Vシネマなども制作され、「二十年間無敗の男」として麻雀界のスターになります。
1988年、下北沢と町田に雀荘「牌の音」をオープンします。そして、雀鬼会をという名の団体を結成し、雀鬼流という桜井章一の生き方や雀風を具現した特殊な麻雀のルールを通し、自己啓発的な指導を行っています。自己啓発的な本も毎年のように多数発売されています。
そんな自らの現在の肩書を「雀荘のオヤジ」と桜井章一は著書の中で話しています。
ちなみに、桜井章一はヘビースモーカーなのですが、お酒は飲まないそうです。何だかイメージと少し違いますね。
桜井章一について知っておきたいこと
桜井章一のいくつかの伝説、そして知っておきたいいくつかのキーワードを紹介したいと思います。
牌の音
牌の音は、1988年に下北沢と町田にオープンした桜井章一が経営する雀荘です。現在は下北沢店は閉店し町田店のみ、となっています。
肩書としては雀荘なのですが、牌の音の正式名称は「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」という名であり、普通の雀荘とは大きく違い、桜井章一の指導する雀鬼流を研究する団体である雀鬼会の道場であるということに注意しなければいけません。雀荘というより道場なのです。
「フリールールの卓」と、スタッフ、雀鬼会選手が指導する「体験卓」があるそうで、基本的に初めての方はすべて体験卓で打つようです。まあ、つまり、普通に麻雀を打つ場合は行かないほうがよさそうですね。桜井章一が好きになり、桜井章一の思想に共感し、雀鬼流の教えを乞いたい方が行く場所だと思います。
牌の音 町田道場は以下の場所にあります↓
〒194-0022 東京都町田市森野1-10-6 パールビル B1-A
TEL&FAX:0427-28-8808
営業時間 午後1時より午前0時まで
雀鬼流
「雀鬼流」というのは、桜井章一の設立した雀鬼会のメンバーの特殊な麻雀の打ち方をいいます。麻雀の戦略の教えというよりも、桜井章一の人生哲学が投影されていて、麻雀を通しての自己啓発的側面が強いです。雀鬼流の特殊な打ち方として以下の事が有名です。
- 第一打の字牌、ドラ切り禁止。
- テンパイ前のドラ切り禁止
- 明槓の禁止
- 打牌は2秒以内
- 即引っかけ立直の禁止
「ドラは恋人のように思え」、と教えられ容易にドラを切ることはできません。字牌も重視するので、簡単には切れません。周りに迷惑をかけない、という考え方から、打牌は2秒以内だそうです。打牌が早い理由にはもう一つあり、早く決断することによって、余計なことを考えずに決断できる感覚を養う。といった、意味合いもあるそうです。
そして、自分がトップを目指すわけでなく、理想的には全員が±ゼロになるように心がけると言われています。雀鬼流というは麻雀を通しての人間哲学的な面が強いので賛否両論が強いですが、日本各地にある雀鬼会の道場の門をたたいてみれば、雀鬼流とは何かがわかる、かもしれません。
麻雀の試合も点数の他に、雀鬼・桜井章一の麻雀をどれだけ実施できたかを桜井章一が評価して点数をつけていて、また、自分で自分の出来を採点する「自己評価」をつけたり、一般的な麻雀とは一線を画する麻雀であると言えるでしょう。
雀鬼会
雀鬼会というのは1991年に桜井章一が設立した麻雀団体です。桜井章一の指導する雀鬼流の教えを乞う集団、それが雀鬼会です。現在、桜井章一は会長といった肩書で雀鬼会を運営しています。麻雀団体といっても、日本プロ麻雀連盟や日本プロ麻雀協会のように、いわゆるプロ麻雀団体としての活動は行っておらず、雀鬼流を通して桜井章一の人生哲学を学ぶ団体、といったような趣です。
公式ホームページによると、「牌の音」をオープンして、みんながあんまり麻雀を知らないんで、ちょっと教えてやろうかと思って周りに声をかけたのが雀鬼会結成の経緯だそうです。
雀鬼会の会員になるには、
あらゆるイベントに積極的に参加し、桜井会長や他の選手たちにその「存在力」を認めて貰って初めて資格を得る。麻雀が打てるかどうかは重要でなく、いろいろなことにどれだけ一生懸命になれたか、を重視する
とのことです。
著名人、プロ雀士の中にも元雀鬼会所属、という人もいて、
日本プロ麻雀連盟副会長の伊藤優孝(いとう ゆうこう)、
「トイツマスター」の肩書を持つプロ雀士の土田浩翔(つちだ こうしょう)、
フリーのプロ雀士で麻雀ライターの馬場裕一(ばば ひろかず)、
サイバーエージェント社長の藤田晋(ふじた すすむ)、などの方々が雀鬼会出身者で有名な人たちです。
雀鬼会に所属はしていませんが、プロレスラーの中邑真輔(なかむら しんすけ)と交流があり、雀鬼会を訪れ公開練習をしたこともありました。
将棋の羽生善治(はぶ よしはる)も何度も雀鬼会を訪れ、桜井章一との対談本『運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則』を出版したり、一緒に講演会を開いたりしています。
桜井章一曰く雀鬼会は、「道場生の精神のゆがみを是正し、人間本来の心を取り戻す精神修養の場」という意味合いがあるそうです。
町田にある「牌の音」の他にも大阪支部道場「雀鬼流麻雀道場 高槻塾」が拠点となって活動をしています。そして、全国各地に同好会があります。詳しくは公式ページをご覧ください→http://www.jankiryu.com/
雀鬼会については麻雀豆腐内でも雀鬼会 桜井章一が産み出した麻雀哲学でも紹介しているのでご覧ください。
裏麻雀の世界での代打ち
代打ちというのは、金持ちの社長やヤクザなどが膨大な額のレートで行われる麻雀を誰かの代わりに打つことを生業とする雀士のことを言います。裏社会の勝負師稼業と言える、と桜井章一は語っています。
本人が語るには、一晩で当時の価値で数百万、今の価値では数千万ほどの大金が動き、ある時には負けて支払いが足りないためにベンツを置いて行ったこともあったそうです。
しかし、そういった麻雀はギャンブルとして側面だけでなく、勝ったほうがこの仕事を貰う、といったように決着の場として設けられることもあるそうです。
桜井章一はそんな裏社会で無敗を誇り、二十年間無敗のまま、その世界から身を引きました。
大金が大きく動く世界ですが、桜井章一は決して受け取る額が大きいからという理由で仕事を引き受けたことはなかったそうです。野球でいうならば、巨人のように何千万とお金を積まれても受けなかったし、広島のように何百という額で提示されてもその気になったら受ける、といったように仕事を受けていたそうです。
いくらか勝とうと貰う額は決めていて、金に執着しなかった、と本人は語っています。どうしてもやらなければならない義理を果たすために代打ちをしていたそうです。
もし金に執着していたら、いまも五体満足でいられるかどうか疑わしい、と代打ち時代の事を回想しています。そういった世界で生きてきたのが雀鬼、桜井章一なのでしょう。
桜井章一関連の本とVシネ
桜井章一をモデルとした小説や漫画、Vシネだったり、桜井章一の自己啓発本も多数発売されているのでご紹介したいと思います。代打ち時代の伝説が小説、漫画、映像化され熱狂的な信者を呼び、桜井章一は一気に麻雀界の人気者になりました。
小説『伝説の雀鬼・桜井章一伝』
1984年に柳史一郎が発表した、ノンフィクション小説『伝説の雀鬼・桜井章一伝』は桜井章一の代打ちとしての半生を小説スタイルで描いた作品です。幻冬舎アウトロー文庫から文庫本も出版されていて、桜井章一が裏社会でどうやって生きてきたのか、どういった修羅場を潜り抜けてきたのかを知るに適した一冊です。
漫画『Shoichi』
ノンフィクション小説『伝説の雀鬼・桜井章一伝』の漫画版、それが『Shoichi』です。漫画版の作者は神田たけ志で、「近代麻雀ゴールド」で1988年から1993年の間連載されていました。全九巻です。活字でなく、漫画でサクッと桜井章一の人生を追いたい人は、この漫画版をおすすめします。最近ではコンビニでも売ってますし、古本屋でも売っていることが多く、気軽に読むことができます。
また、同じ作者の神田たけ志によって、『真説ショーイチ』や『伝説の雀鬼』といった、桜井章一の漫画があります。もちろん、全てが事実ではありませんが、伝説に基づいたフィクションと捉えることができれば楽しむことが出来ると思います。
自己啓発本
桜井章一による自己啓発本は年間に数十冊出版されることもあり、現在まで多数存在します。過去に麻雀の戦略本を出したこともありますが、圧倒的に多いの桜井章一流の生き方や思想についてといった、自己啓発本がほとんどです。
例えば、『決断なんて1秒あればいい』といった決断力についての本や『負けない技術』といった勝負哲学についての本などが多数出版されています。
Vシネマ『雀鬼』、『真・雀鬼』
小説『伝説の雀鬼・桜井章一伝』、漫画『Shoichi』を原案、原作として1992年に『雀鬼』というタイトルでVシネマ化されます。麻雀ファンからの支持を得て、人気シリーズとなり『雀鬼』は全6巻、その続編の『真・雀鬼』は全19巻、そして番外編として『雀鬼・外伝 東海道麻雀無宿』が存在します。
主人公の桜井章一役は清水健太郎。わけあってすっかり過去の人になってしまいましたが、何度目かの復活でVシネ界に定着してきたときのはまり役の一つでした。『雀鬼外伝』は清水健太郎は逮捕中だったので代役として加納竜が桜井章一を演じています。
監修として桜井章一の名前が入っていて、演技指導としてプロ雀士や雀鬼会のメンバーも参加して、演じている俳優も麻雀慣れしている人も多く、麻雀のシーンのクオリティーの高さは話題になりました。
長門裕之と桜井章一という組み合わせの不思議な共演シーンです。
雀鬼VS萩原流行
雀鬼・桜井章一と雀聖・阿佐田哲也
雀聖というのは、小説家阿佐田哲也のことをいいます。阿佐田哲也は麻雀小説『麻雀放浪記』をはじめ、麻雀小説、ギャンブル小説をいくつか発表し、また、麻雀ブームの火付け役であり、「麻雀プロ1号」と呼ばれるミスター麻雀、小島武夫を世に広めた人でもあります。そういった、麻雀界への多大なる貢献もあり、雀聖と呼ばれるようになりました。
もともと、「雀鬼」というあだ名は、阿佐田哲也も呼ばれていました。阿佐田哲也の著書にも『雀鬼五十番勝負』といったタイトルのものもあります。桜井章一も新宿で雀鬼と呼ばれていて、区別するために、阿佐田哲也を雀聖と呼ぶようになった、という説があります。
そんな二人の関係性というと、阿佐田哲也の代表作『麻雀放浪記』の映画化作品に麻雀指導として参加していたり、ある程度交流があったようです。桜井章一が世間的に名前が表に出てきたきっかけになったのが、『麻雀放浪記』でもありました。
1980年に近代麻雀百号記念として企画された「太平洋上麻雀選手権」という船の上で行われた麻雀大会で、桜井章一は表の世界に出てきました。その時の阿佐田哲也とのエピソードが漫画『Shoichi』のなかで「雀鬼と雀聖」というタイトルで描かれています。
漫画のなかで阿佐田哲也が桜井章一を紹介するときに「この人が本物のプロだよ」というのが決まり文句だった、と描かれています。
本当のところははっきりとわかりませんが、雀聖も一目置く存在だったのかもしれません。
阿佐田哲也についてはこちらでも詳しく説明しています→雀聖・阿佐田哲也とは?雀士であり小説家だったその人生
雀鬼・桜井章一とミスター麻雀・小島武夫
小島武夫とは、ミスター麻雀や麻雀プロ1号と言われるような、プロ雀士の代表みたいな存在であり、日本プロ麻雀連盟の創設者でもある人です。
今はおそらく交流はあまりないと思いますが、昔は桜井章一と小島武夫は交流はあったようです。
小島武夫はかつてテレビでイカサマ技を披露することで有名になったのですが、その仕事に嫌気が差してしまって、代わりを探している時に、知人に紹介してもらったのが桜井章一だったそうです。そして、小島武夫は桜井章一を自分の代わりにイカサマを出来る男として、テレビのプロデューサーに紹介したそうです。
小島武夫が自伝の中で語るには、桜井章一は、当時阿佐田哲也や小島武夫を中心にして結成された麻雀集団「麻雀新撰組」への強い憧れと敵対心を燃やしていたそうです。一度、阿佐田哲也や小島武夫と桜井章一と卓を囲っていた時、桜井章一が河から牌を拾っているところを小島武夫が見つけ、他に見つからないように、卓の下で桜井章一の膝を蹴っ飛ばした、というエピソードを自伝の中で披露しています。桜井章一の膝を蹴っ飛ばせる人は、そういないでしょうね。桜井章一絡みのエピソードであまり聞かないタイプのエピソードです。
桜井章一の麻雀の実力は、イカサマをしなくても十分に強い、と小島武夫は語っています。十分に強い打ち手で、それに輪をかけて功名心が強かった、とのことです。
現在の桜井章一に対して、「雀鬼会を立ち上げて無敗伝説もあるため、既に勝負の一線から退いていて、プロ団体主催の大会にも出場することはないだろう。麻雀は確かに巧いに麻雀を愛しているだろうが、雀鬼会の活動は理解しがたい。麻雀は個人個人が切磋琢磨していくものであって、宗教にしてはいけない。阿佐田さんのように周りが勝手に崇めるのは構わないが、自らが神になってはいけないのだ。」
要約すると、このようなように小島武夫は自伝のなかで書いています。
小島武夫の後輩にあたるような存在でもある、桜井章一に対して複雑な想いを持っていることが垣間見えるようです。
小島武夫についてはこちらのページで詳しく説明しています。→ミスター麻雀・小島武夫、魅力的でろくでなしな生き方
桜井章一の動画紹介
桜井章一の麻雀の実力は実際に見たことのある人の証言を聞くとイカサマをしなくてもかなりの腕だと言います。が、しかし、手積み全盛の時代の強者ですから、自らの著書でも言及しているように、イカサマの実力も有名です。youtubeにはそんな桜井章一によるイカサマ技の動画と、桜井章一関連の映像を紹介したいと思います。
【桜井章一】鬼神!異次元過ぎる雀テク!!まるで手品!!
爆笑問題のススメに出演時のワンシーン
ニュースステーションの時と同じように元禄積みを披露。ほかにも独自の牌の持ち方の紹介。
「桜井章一の雀鬼流麻雀必勝法」
雀鬼流麻雀を再現した1995年に発売のスーパーファミコンソフトのオープニング映像です。
桜井章一の名言
桜井章一による名言といえるような言葉をいくつか紹介したいと思います。
「利口になるよりバカになれ!バカになれたら楽になる。人に笑われる人間になった時、君は一人前だ」
雀鬼会の道場でお互いを罵り合う「罵倒ロワイヤル」といったことをすることがあるそうです。それは素っ裸になりプライドを持たない真の強さを身に着けるために行うそうです。「罵倒ロワイヤル」の末、何もかも捨て去りバカになる。そして、今まで何やっていたんだ、と気づく道場生は多いそうです。
大事な決断は林のように
一本の大木は嵐が来たら倒れてしまうが、林は全体が倒れることはない。自分の体を一本の大木のように固くするのではなく、何事も力まずに対応すれば臨機応変に対処できる、大事な意見を述べる前に、木漏れ日の林を思いだし、前身の力を抜いてみよう、という言葉です。
「仲間」というのは輪になっている関係だ。「仲間」の中には、当然、意見の合わない人もいるし、気に食わないヤツもいる。だが、そういった個人的感情を超えてつながっているのが「仲間」なのである。
「仲間」についての言葉。都合のいいだけの関係である「友達」は信じないし持たないけれど、「仲間」を信じている、といった意味です。
私は「雀鬼」と呼ばれているが決して鬼ではない。なぜなら妻がいて、四人の子供がいて、五人の孫がいる、ごく普通の家庭人だからである。
雀鬼も人の子であり親なのです。桜井章一曰く、代打ちをしていても身を崩さなかったのは、家庭があり子供の存在が大きいそうです。
作っては壊す気持ちを持て!
麻雀は人生と同じようなもので、完成品を作っては壊す、その繰り返しである。出来た完成品を威張ることもなければ、成功したと自慢するものでもない。
「格好よく勝つ」より「格好よく負ける」ことを考えたほうがいいと思っている
仮に負けても相手を恨むのではなく、いい勝負をさせてもらっと感謝することが大事だとも仰っています。
負けの九十九パーセントは自滅
「勝ち」を求める人は、行動や動機に自滅の要素を孕んでいる。負けないための思考と行動をとることができれば少なくとも自滅は避けれらる。
勝負において「守り」という立場はあるべきでないと考えている
守りに入ると、狙われる、追われるという気持ちになってくる、そうなると「逃げよう」という感覚になり、より不利な状況をつくりかねない。だから、「守り」ではなく、「受け」と捉えるべきである、という言葉。
まとめ
伝説の雀士、伝説のギャンブラー、雀鬼、そんな風に桜井章一は呼ばれます。二十年間無敗という肩書を背負っていていますが、それを証明するものは何もないので、もちろんアンチも多いです。雀鬼流という独自の路線で麻雀業界からは少し離れた道を歩き続ける、そんな印象を桜井章一について感じます。雀鬼会に入って雀鬼流を学ぶ気にはなりませんが、桜井章一の経歴や著書を読めば、どこか自分の人生で参考になることもあります。もちろん全てを肯定するわけではありませんが、桜井章一という伝説の雀士の話はおもしろくもあり、ためになることもある気がします。
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