【近藤誠一】大魔神の名を継ぐ中年の星
近藤誠一プロは、最高位戦日本プロ麻雀協会所属で、Mリーグ初年度の2018-19シーズンからセガサミーフェニックスで活躍していましたが、2022-23シーズンを最後に体調不良を理由に選手を勇退し、2023-24シーズンからは、監督に就任することが発表されました。過去最高位を4度獲得した実績を持ち、最高位戦の副代表も務める、ファニックスのお父ちゃん、近藤誠一プロについてご紹介します。
大魔神の系譜・近藤誠一プロについて
プロフィール
- 名前:近藤 誠一(こんどう せいいち)
- 生年月日:1963年8月1日
- 出身:兵庫県尼崎市
- 学歴:静岡大学工学部電気工学科卒業
- 血液型:A型
- 好きな物:ビール、温泉
- 所属団体:最高位戦日本プロ麻雀協会(第22期入会)
- Mリーグチーム:セガサミーフェニックス(2023-24シーズンから監督に就任)
- X(旧Twitter):@sei1k
- Instagram:kondoseiichi
近藤誠一プロの麻雀は、"大きく打って大きく勝つ"をテーマとしており、メンゼンで高打点を目指す打ち筋が特徴です。
近藤プロは、1997年、33歳の時に最高位戦日本プロ麻雀協会に入会し麻雀プロとなりました。元赤坂ドリブンズの村上淳プロは12歳年下ながらも同期であり、漫画「だめんず・うぉ〜か〜」にも登場したことで知られる渡辺洋香プロも同期です。
2012年に亡くなられた、大魔神の異名を持つ永世最高位・飯田正人プロを慕っていたため、"大魔神の系譜"という二つ名を持ちます。また、紳士的な風貌から"麻雀ジェントルマン"や、梅沢富美男さんに顔が似ているということから"夢芝居"といったキャッチフレーズが使われることもあります。
セガサミーフェニックスは、近藤プロが最年長で、女性選手が2名、もしくは3名というチーム編成の時代が長いため、"お父ちゃん"という愛称で呼ばれることもあります。
所属団体最高位戦日本プロ麻雀協会の最高峰タイトル"最高位"を過去4度獲得しており、これは10回の飯田正人に次ぐ歴代2位タイ記録です(もう一人は金子正輝プロ)。竹書房主催で各団体のプロやアマチュア雀士も参加する"麻雀最強戦"でも、現役最高位の状態で優勝し、2015年度の飯田正人プロ、2008年度の張敏賢プロ以来の、"最強かつ最高"となりました。"最強で最高"という言葉を最初に使ったのも飯田プロで、奇しくも、これも大魔神の系譜だと言えるでしょう。
最高位戦では長らく事務局長を務めており、2021年3月には副代表に就任するなど、所属団体の運営にも貢献しています。
華々しい実績を持ち、団体の重鎮でもある近藤プロですが、親しみやすいキャラクターで愛されており、「熱闘!Mリーグ」で取り上げられた際には、最寄り駅から徒歩20分、家賃6万5000円のアパートに、引っ越しが面倒だからという理由で20年以上住んでいるという事や、15年以上彼女がいない、といったプライベートが明らかにされましたが、それも近藤プロらしさのような気がします。
温泉とビールをこよなく愛し、「熱闘!Mリーグ」でも、真っ裸で温泉に入り、風呂上りにビールを飲む姿は、多くの麻雀ファンにインパクトを与えました。(これぞ中年の星!トップ雀士・近藤誠一、ビールと温泉楽しむ独身貴族より)
また、気合を入れるときの対局では、赤の下着を履いて望むそうです。
近藤誠一という名前は、ご両親が新選組が好きであるため、新選組のシンボルである誠の字を使い、画数が良くなるために一を足したことが由来になっているそうです。
体調不良によりMリーグを勇退
2023年6月、セガサミーフェニックスは、Mリーグ2022-23シーズンをもって近藤誠一プロとの選手契約を満了し、2023-24シーズンより近藤プロが監督に就任することを発表しました。
この年、Mリーグの成績は-195.9ポイントと調子を落としていましたが、選手としてMリーグから勇退した理由は成績不振ではなく、体調不良が原因でした。近藤プロは、当時59歳でMリーグ最年長であり、緊張度の高いMリーグに出場し続けことは、体力的にしんどい部分もあり、コンディションの維持が難しいとインタビューなどで口にする場面もありました。
近藤プロの体調に関しては、同じ最高位戦日本プロ麻雀協会に所属する園田賢プロと鈴木聡一郎も、最高位戦の理事会などでも体調が悪そうに感じていたそうで、お酒な好きな近藤プロですが、試合の前々日からお酒を飲まないようにするなど、人一倍体調に気にする人だから、心配だったと語っています。(近藤誠一pの勇退と監督就任について)
2022-23シーズン前から、大きな疾患が見つかったわけではないが、頭痛を感じるようになったそうで、良い状態で麻雀を打つことが難しくなり、症状が落ち着いた12月にMリーグから退くことを決断し、シーズン終了後にチームに報告し選手を引退することが決まりました。選手として完全に引退するわけではなく、最高位戦のリーグ戦とモンド杯は引き続き出場することも同時に発表されました。
最初はチーム側も引退を引き止めましたが、選手引退を受け入れ、監督としてオファーをすることに。しかし、近藤プロとしてはMリーグの稼働日数の多さが、体調に影響しているため、チームごとに監督の役割は変わってくるが、セガサミーフェニックスの場合、選手よりも稼働日数が増える可能性もあるので、このオファーを断りました。
しかし、1か月、2カ月とセガサミー側も熱心に説得を続け、会社もフォローしながら稼働日数を減らす形で、近藤プロは監督就任を引き受けることになりました。
2023年6月11日に行われたファンミーティングでは、選手引退と監督就任を涙をこらえながら、約160人のファンを前に報告しました。近藤プロの想いが伝わる素晴らしいスピーチとなりました。また、涙をこらえる魚谷プロ、東城プロ、茅森プロの表情からも、近藤プロがいかに愛されていたかという事が伝わってきます。
かつて、最高位戦から分裂する形で日本プロ麻雀協会が発足し、多くのプロが出ていき、運営の中心にいた近藤プロは会員の前で説明をする時に泣きそうだったところを飯田プロから「泣くな」と言われたことがあったそうです。それ以来、勝っても負けても泣かないように、泣きそうになった時は深呼吸をするようにしているそうです。この時も飯田プロからの泣くなという教えをこの時も守っているところが印象的に映ります。(【FACES / Vol.31】特別号:飯田正人 ~あれから10年、永世最高位を偲ぶ~より)
伝説の倍満ツモ
Mリーグ2020-21レギュラーシーズン、3月4日に行われた第2試合、近藤プロがオーラスで倍満ツモでアガり、大逆転をしたこの試合は、Mリーグの名場面の一つとして語り続けられています。
この試合の時点で、セガサミーフェニックスは最下位の8位、レギュラーシーズンも残りあと6試合で、何としてもトップをとってセミファイナルに臨みを繋ぎたいという状況で、近藤プロが登板しました。この日の第1試合も近藤プロが登板し2着、誠一さんで負けるなら仕方がないと、チームメイトに背中を押されて試合に臨みます。
南4局一本場、近藤プロは14,500点の4着、トップの赤坂ドリブンズ・園田賢プロは34,600点で、その差は20,100点。トップを取る条件は、"園田プロから跳満以上をロン、もしくは倍満以上をツモ"と、トップを取るのは難しいか、といった状況です。
トップを走る園田プロは、1巡目、2巡目からドラの九筒を対子落とし、近藤プロとしてはどうしても欲しいドラが序盤からなくなっていき、園田プロはタンヤオで早アガりを目指します。
ところが、近藤プロはツモが良く、タンヤオ・平和・ドラ1は確定のテンパイし、長考の末、リーチを宣言。もしも、高めの七萬を一発でツモり裏が乗ればトップ、と確率的には奇跡のような条件でしたが、なんと、これが実現します。「リーチ・一発・ツモ・タンヤオ・平和・一盃口・赤・裏ドラ」の16,000点に一本場の供託300点が加点され、奇跡のような逆転劇。
この局はいくら結果がわかっていても、感動してしまいます。
また、この逆転劇に大喜びする控室の様子を見ると、見ているこちらも嬉しい気分になります。
信じられない‼️#漢#カッ pic.twitter.com/Q2ljnVgdkP
— セガサミーフェニックス (@SEGASAMMY_PNX) March 4, 2021
残念ながら、その後、2試合連続でラスという日もあり、このシーズン最下位という結果になってしまいましたが、この試合で見せた近藤プロの奇跡と、最後まであきらめなかったセガサミーフェニックスの戦いは、多くのファンの記憶に残るものとなりました。
カッ!
近藤誠一プロは、ツモアガりを決めた際に、「カッ!」という気合が入った声が入ることがあり、近藤プロのトレードマークの一つとなっています。
有名なシーンは、Mリーグ2019-20レギュラーシーズン、10月11日に行われた第1試合の東4局、配牌ではとても大三元に向かう配牌ではありませんでしたが、これが中が暗刻になり、白を鳴き、發と四萬のシャンポン待ちで大三元のテンパイに仕上げます。ここで近藤プロは發をツモり、その時に"カッ!"と声が漏れ、その姿に多くの視聴者が沸きました。
競技麻雀の場で私語は厳禁、だけど、仲間内で打つときと同じように喋りたい、發を引いた時点で盲牌で大三元をアガったことがわかり、"来たー!お前らー!おらー!"といった声を出したい、しかし我慢をしないといけない、それで出た言葉が「カッ!」という声だった、と近藤プロは語ります。(我慢できずに溢れた「カッ!」近藤誠一が語る「生涯忘れない大三元」の爆笑裏話より)
ここ一番の場面で登場する"カッ!"が人気となり、近藤誠一プロの"カッ!!け軸"というグッズも発売されたことがあるほどでした。(https://shop.m-league.jp/product/gxae10458/より)
著書
- 最強雀士が語るデジタルの向こう側 大きく打ち、大きく勝つ麻雀(2017年10月31日、マイナビ出版)
- 麻雀 理論と直感力の使い方(2021年3月10日、竹書房)
- 麻雀・トッププロ 近藤誠一の高打点打法 ※著:土井泰昭、監修:近藤誠一(2023年7月30日、マイナビ出版)
初の著書「最強雀士が語るデジタルの向こう側 大きく打ち、大きく勝つ麻雀」は、近藤プロが、最高位戦とモンド名人戦を連覇した時に出版された本で、"デジタルを極めた上で、それをあえて捨て去ることで結果が出るようになった"という近藤プロの打ち筋を解説した一冊となっています。近藤プロの麻雀に対する精神論や、飯田正人プロについてのエッセイなども掲載されています。
Mリーグ開始後に出版された「麻雀 理論と直感力の使い方」は、脳内科医の加藤俊徳先生との対談を通し、実戦においては理論をあえて封印して直感で打つことを提唱する、ユニークな麻雀戦術本となっています。Mリーグで直観力を使った局の解説や、理論の重要さ、また麻雀が強くなるための脳の鍛え方などに言及した一冊です。
「麻雀・トッププロ 近藤誠一の高打点打法」は、最高位戦日本プロ麻雀協会を脱退し、日本プロ麻雀協会を設立、初代会長に就任したのち、現在はフリーとなり理論派雀士として知られる土井泰昭プロが、直感を活かし、メンゼンで高打点を狙う近藤プロの打ち筋を解説した戦術本となっています。もちろん、近藤プロも監修という立場で関わっており、近藤プロの戦略を学ぶことができる一冊となっています。
“最高かつ最強”近藤誠一プロの経歴
挫折を経験した青年時代
近藤誠一プロは、あまり言葉に訛りが出ないですが、兵庫県尼崎市に生まれ、2歳の時に西宮市に引っ越しし育ちました。子供の頃は、剣道、書道、そろばんなどの習い事に通い、実家が塾を運営していることから、近藤プロも塾に通っていました。
中学受験に失敗し、公立の中学校に通い始めます。算数は得意だったそうですが、他の教科の出来があまりよくなかったそうです。高校受験も難関の国立、私立の高校を目指しますが落ちてしまい、公立の兵庫県立鳴尾高等学校に通うことになります。高校時代も一生懸命勉強し、国立の静岡大学工学部電気工学科に進学します。
電気工学科を選んだのは、就職に有利だからという理由だけだったので、あまり興味はなかったそうです。しかし、大学に入り寮生活が始まると、麻雀と出会い、ほぼ一日中麻雀を打つ生活になります。そして、大学時代に、当時最高位を獲得し麻雀雑誌で大きく取り上げられていた金子正輝プロを知り、この人を倒して最高位になりたい、と思ったそうです。大学時代に最高位戦を受験しようとしますが、プロテスト当日まで受験票が届かず、数日後に大家さんから届いていたよと受験票を渡され、プロテストを受けることは出来ませんでした。
麻雀漬けの大学生活でしたが、2年生の時に留年しますが、5年間で大学を卒業します。大学卒業後は大手企業であるユニリーバに就職しますが、12月には退社。電気科ということを買われて入社しましたが、電気の事を全く学んでいなかったため、続けることが出来なかったそうです。
そして、24歳の時に最高位戦のプロテストを受験します。この時の最高位戦のプロテストはとても狭き門で、120人中合格したのはたったの4名でした。近藤プロは、一次試験の筆記テストは合格しましたが、実技テストで不合格となってしまいます。筆記テストも麻雀問題だけでなく時事問題なども含む難しいテストで、実技も所作などが評価されるわけでなく、単純に勝ち残る必要があるという厳しいテストでした。
プロテストに落ちた近藤プロは、佐鳴予備校の数学講師を務めるようになり、麻雀と離れることになります。
大魔神の名を継ぐ
近藤プロは30歳まで予備校で働きますが、ストレスなどでお腹を下してしまう過敏性腸管症候群になってしまったこともあり、退職します。その後、2年ほどは、失業保険と節約、そしてパチンコで生計を立てる生活を送ります。
32歳の時に、親孝行という気持ちもあり、実家の塾を継ぎます。しかし、地元に友人も少なく、バイトを始めようとコンビニにアルバイト情報誌を買いに行こうとしたら、売っておらず、なぜか近代麻雀に手を伸ばしてしまいます。その結果、夢遊病のようになり、気がついたら最高位戦のプロテストの願書を提出していたそうです。そして、1997年、33歳の時に最高位戦のプロテストに合格、ようやく麻雀プロになりました。
麻雀プロになると関東に出ていきたい気持ちが強くなり、塾の仕事を辞め、横浜市青葉区に拠点を移します。遅くまで飲んでいる事が多く、横浜市青葉区だと遠すぎるため、中野区にあるアパートに引っ越します。この部屋が、YouTubeチャンネル「麻雀遊戯王」や「熱闘!Mリーグ」でも取り上げられた、近藤プロが長年住んでいる部屋なのです。
近藤プロは順調に雀力を上げ、2004年にはAリーガーとなります。2008年にBリーグに降格しますが、1年で再びAリーグに戻り、安定した成績を残しますが、決定戦まで勝ち残るにはなかなか時間がかかりました。2010年に再び降格しますが、翌年、敬愛する"大魔神"飯田正人プロが欠場を発表したため、近藤プロがAリーグに繰り上げ昇格となります。
そして、2012年、飯田正人プロ死去。この別れをきっかけに、それまで理で打っていた近藤プロは、飯田プロのように感覚で打つことを取り入れ好成績を残すようになります。この年のリーグ戦では2位となり、初めて最高位決定戦に進出。そして第37期最高位を獲得、49歳にして初のタイトルを獲得しました。そして、飯田プロがチャンピオンのまま亡くなってしまった"モンド名人戦"に、この年から近藤プロが出場するようになり、まさに"大魔神の系譜"にふさわしい活躍をするようになります。
最高位4度獲得”中年の星”と呼ばれる大活躍
最高位を獲得し、団体の顔として様々な大会や放送対局で活躍し始めた近藤プロは、2015年に第40期最高位を獲得、翌2016年も最高位の座を守り連覇を果たし第41期最高位を獲得します。第41期最高位決定戦では、大学生の頃の目標であった、金子正輝をまくって優勝し、長年の夢をかなえます。
2015年から2016年にかけて放送された"第10回モンド名人戦"でモンド杯初優勝を果たすと、翌年の"第11回モンド名人戦"も王座を守り優勝、飯田プロが第6回大会で優勝を果たしたまま亡くなった、つながりの深いこの大会で連覇を果たします。また、第11回モンド名人戦で優勝した後、女流モンド、モンド杯、前年度優勝者で争われる"第13回モンド王座決定戦"では、二階堂亜樹プロ、佐々木寿人プロ、そしてこの時点でモンド王座二連覇をしている後にMリーグでチームメイトとなる魚谷侑未プロを相手に勝利し、初のモンド王座優勝を果たします。
2018年は近藤プロ大活躍の一年となり、まずこの年にMリーグが発足し、8月7日に行われたドラフト会議にてセガサミーフェニックスから2巡目指名を受け、初代Mリーグとなります。
そして、11月には自身4度目となる第43期最高位を獲得。12月には現役最高位のまま、麻雀最強戦で優勝し最強位も獲得、史上三人目の"最高かつ最強"の栄冠に輝きます。
Mリーグ2年目となる2019-20シーズンは、4着回避率のタイトルを獲得し、当時のMリーグ記録である74局連続無放銃も達成します。チームもレギュラーシーズン首位で突破と絶好調でしたが、残念ながらファイナルで敗れ2位となります。
2021年3月には、最高位戦日本プロ麻雀協会の副代表に就任します。
49歳にして初タイトル獲得と遅咲きながら、中年の星と呼ばれる大活躍でしたが、Mリーグ2022-23シーズン終了後に体調不良を理由に選手を勇退し、監督に就任。その後の活動も、最高位戦のリーグ戦、最強戦、モンド杯の出場に絞ることを発表しました。
2024年度の最高位戦のリーグ戦では、惜しくも4位で終わり、最高位決定戦まであと一歩というところでした。2024年11月時点では、翌年のリーグ戦に出場するかどうかは明言されていませんが、あと1度最高位を獲得すれば、史上二人目となる"永世最高位"の称号を手にすることになります。体調を整え、これから先も近藤プロが活躍する姿を見ることを多くの麻雀ファンが期待しています。
Mリーグレギュラーシーズン成績
シーズン | 個人 スコア | 平均 打点 | 4着 回避率 | 最高 スコア | 半荘数 |
---|---|---|---|---|---|
2022 | -195.9 | 6,651 | 0.6667 | 53,300 | 21 |
2021 | 5.4 | 7,444 | 0.7273 | 64,400 | 22 |
2020 | -46.7 | 8,066 | 0.6818 | 53,600 | 22 |
2019 | 332.0 | 8,230 | 0.9545 | 56,200 | 22 |
2018 | 144.4 | 7,409 | 0.71 | 55,500 | 24 |
獲得タイトル
- 第37、40、41、43期最高位
- 2018麻雀最強位
- 第10回、11回モンド名人戦
- 第13回モンド王座
近藤誠一プロの対局動画
麻雀最強戦2018ファイナルでの国士無双
麻雀最強戦2018ファイナルの予選C卓、東1局の6巡目に早々と近藤プロは国士無双をテンパイし、そしてその後、あっと言う間に国士無双を完成させてしまいます。最終的に最強位を獲得しますが、この東一局から風が吹いていたのではと思いたくなる一局です。
最強で最高になった日
最高で最強になった麻雀最強戦2018ファイナルのオーラス、近藤プロは自らのアガりで優勝を決めます。"大魔神"飯田正人プロの系譜を継ぐ近藤プロにふさわしいタイトル獲得となりました。
最高位に大きく近づく倍満ツモ
自身4度目の最高位獲得を果たした、第43期最高位決定戦の最終日、残り半荘4回となったこの試合、全員にまだ優勝の可能性が残されている中で、東1局1本場に感性を大事にする近藤プロが、驚くべき手順でテンパイ、一発で高めの当り牌をツモり、倍満、最高位に大きく近づきます。
四暗刻対清一色の熱いめくり合い
Mリーグ初年度となる2018-19レギュラーシーズン、12月20日に行われた第2試合、近藤プロはラス目で迎えた南1局、メンゼン派の近藤プロですが、序盤から仕掛けていき清一色を目指します。しかし、瀬戸熊直樹プロも四暗刻をテンパイ、石橋伸洋プロもフリテンながらテンパイし、誰がアガってもおかしくない面白い展開になっていきます。そして、近藤プロが「カッ!」の声と共に当り牌をツモり、熱いめくり合いを制します。
近藤プロの神がかった手順
Mリーグ2021-22セミファイナル、4月1日に行われた第一試合、4者共に横並びの持ち点となった南3局、息が詰まる展開で場が進み、近藤プロは随所に素晴らしい選択を見せ手を作り、最終的に三面張を避け両面でリーチを宣言、そして見事に当り牌をツモり、これが決定打となりこの試合勝利します。
奇跡を起こした執念のフリテンリーチ
Mリーグ2021-22ファイナルシリーズ、最終日となる4月26日の第一試合は近藤プロが登板し無念のラスとなりましたが、第二試合も連闘しシーズン最後の試合に臨みます。試合前「なんとかするから見ていてください」という言葉を残した近藤プロは、東4局に奇跡を起こします。フリテンながらもリーチをかけ、「カッ」の声を出し、最後のツモ番で当り牌を引き倍満のアガり、暫定優勝ポジションに浮上します。最終的にはKADOKAWAサクラナイツが優勝となりましたが、この局はMリーグの歴史に残る名場面として多くのファンの記憶に残っています。
まとめ
近藤誠一プロは、最高位を4度獲得し、モンド杯、麻雀最強戦、Mリーグで輝かしい成績を残してきました。麻雀プロになったのは人より遅く、初タイトルを獲得したのも49歳ですが、そこから素晴らしい実績を残し、中年の星と呼ばれる活躍、そして、その打ち筋は人々を魅了し数々の名場面を残してきました。体調不良を理由に、Mリーグを選手として退き監督に就任しましたが、体調が回復して、この先もプレイヤーとして活躍し続けることを多くのファンが望んでいます。
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