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セリーヌ・ディオン、ラスベガスのエンターテイメントの歴史に刻まれたのレジデンシ―公演が幕を閉じた。
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セリーヌ・ディオン、ラスベガスのエンターテイメントの歴史に刻まれたのレジデンシ―公演が幕を閉じた。

【写真はLas Vegas Review Journal HP
延べ16年間、計1,141回の公演の後、シーザーズ・パレスのコロシアムでのセリーヌ・ディオンの長期に渡るラスベガスのレジデンシ―・ショ―は、2019年6月8日(土)に最後の幕を下ろした。
450万人以上の彼女のファンがここシーザーズパレスのコロシアムまで足を運び、$700M+(約760億円)の累積チケット販売額である。

最後の公演

最後のショ―のフィナーレが終わる頃、バックドロップにあるLEDスクリーンに大きく映し出された1枚の白黒の写真。
それは、セリーヌと彼女の亡き夫、レネー・アンジェリルのモンタージュだった。レネーはセリーヌの幼少の頃から彼女の才能を信じ、住宅を抵当にしてまでもセリーヌのレコーディングの為のお金を借り、まだまだ無名で14人兄弟姉妹の一人だった彼女のマネージャーとして支えてきた。
既に立ち上がっていた観衆から彼へのリスペクトを表現するが如く、その彼に対する怒涛のような歓声が館内の壁を揺らすほど響いていた。

It’s family, fireworks for Celine Dion in Las Vegas Strip sendoff

セリーヌは閉幕の前、ラストナンバーとなる曲、映画「オズの魔法使い」のテーマである「somewhere over the rainbow(どこか虹の彼方で)」を歌い、画像で映るレネーに向かって右手を持ち上げていた。セリーヌの18歳の息子のルネ・シャルルと8歳の双子のネルソンとエディは、その後、赤いバラの花束を2つと、それとは別に1本の白いバラを彼らのお母さんへ捧げた。

「ありがとうございました」とセリーヌは声を上げた。
そして「これが私の3人の誇らしい子供たちです」。と加えた。

全ては、セリーヌとレネーが2000年にベラージオのオー・ショ―を観た時から始まった。
二人はオー・ショ―を観て、とても感動した。
そこからフランコ・ドラゴーンとチームを組んで、ここまでの大成功を収めた。感動する事は、やはり大きなモノを動かす原動力となるのだろう。

A New Day (2003 – 2007)

2003年3月25日、セリーヌ・ディオンは、ここラスベガスのシーザーズ・パレスにて「A New Day」と題するプロダクション・ショ―をキックオフ。サーク・ドゥ・ソレイのオー・ショ―を手掛けた天才演出家であるフランコ・ドラゴーン氏による芸術的で幻想的なショウは彼女セリーヌ・ディオンの歌のナンバーを基に、50名以上のバックダンサーと共に華麗に演じられていた。
4大歌姫と言われているセリーヌ・ディオンならではの歌唱力とダンス、それをこれ以上上手く表現できないであろうの域まで達して想像を絶するまでのドラゴーンの演出力。
多くの観客はこの90分のショ―が終る時、スタンディング・オベーションはもとより、感動の余り目から涙が溢れる程のショウであった事を私は今でも鮮明に思い出す。

しかし、この「A New Day」が始まる前、メディアの評判は決して良いものではなかった。
レジデンシ―と言う新しいスタイルのコンセプトで、仮にセリーヌ・ディオンの歌声が世界で一番素晴らしいものであっても、ラスベガスでの観衆には受け入れられないであろうというのが、大抵の意見であった。劇場の大きさも、それまでのラスベガスのショウ・シアターのサイズで最も大きな物でも2000席以下であったが(Oショウ)、この「セリーヌ・ディオンの為に」作られたコロシアムは4,000席以上ある。
チケットの料金も、セリーヌ・ディオンの高額なギャラを埋める為に、$200以上の席が1000席近く用意された。
それまでは、オー・ショ―が$150程で、それでも「高い」と思っていた。
多くの業界関係者から「大きすぎるシアターで、空席が目立ったら、どうする?」 とか、「タイタニックのテーマ曲の歌手の本人が沈没したらどうする?」と噂されていた。

A New Dayの興行契約:セリーヌ・ディオンの契約期間はもともと3年間。1週間に5ショ―、年間に40週間で、年間200回公演することであったんですが、始まって直ぐ、あまりの好評につき、2年間の延長をサインさせられたそうです。

2003年に開幕した「A New Day」は、それまでの予想を180度裏返し、大入り満員が絶えることなく続いた。
私は、この頃、シーザーズでカジノ顧客営業部に居たので、顧客用のチケットの手配で大忙しだった覚えがある。
みな「良い席で観たい!」とのリクエストなので、結構大変な思いをした。
ただ、「良い席」と言っても個人の格差があり、ステージに近い席が「良い席」という一般的な思考もあるが、技術的な面からすれば、ステージ全体が上手く観えて、最高の音色で音を聴きたいのであれば、シアター中央の席の配列の真ん中の辺りが一番良いとされている。
このショーを7回以上観た日本人の方もいる。それも一番前の席で。通常はセキュリティーの関係で1と2番目の列は、セリーヌ・ディオンの家族か知人、又はファンクラブ会員に限られているのだが、特別なルートで取らせてもらった。彼は40代後半の男性である。セリーヌ・ディオンのショーを真ん前で、それも独りで観ると、催眠術にかかったように、その世界にどっぷり入ってしまうそうで、これを観ることによってパワーが漲ってきてカジノでも勝てる気になったらしい。そうだ!確かにいつも勝ってました。

このコロシアムに装備されている屋内LEDテレビは、当時北米最大であった。
ステージのバックドロップになっている壁は巨大なLEDテレビであり、そこに幻想的な映像が醸しだされ、多くの観客を魅了した。
スピーカーシステムもその当時では最新で最高の物であったと聞いている。
元々、巨大なビデオプロジェクターの使用を考えていたが、パフォーマーが前を通る度にその影ができるのを見かねた結果、予定より$10ミリオン(約10億円)余計に工費をかけてLEDテレビとした。
これは三菱製のダイアモンド・ビジョン・LEDでHDTVの8㎜ドットピッチ・ディスプレイを使用。
数多くのLEDモニターを貼り合わせて作り上げた。

舞台はお客様方向へ向かって5.7度傾斜して(下がって)いる。
これは、音響効果が良くなる点と、証明効果の詳細までも見せたいことからである。
観客席から観易いという事であるが、ショ―のダンサーはこの傾斜のお蔭で、怪我をすることが多かったので、パフォーマー泣かせであった。

当初、セリーヌ・ディオンは、このショ―の題名を「A New Day」ではなくて、「Muse」と名付けたかったんですが、同じ名前の音楽バンドがあって、名前の使用権を持っていたので、セリーヌ・ディオンは$50,000でどう?って聞いたら断られた。理由としては、「俺たちをセリーヌ・ディオンのバックバンドと間違えられるのが嫌だった」からだって。

「A New Day」がラスベガスにおけるレジデンシ―・ショーのトレイルブレイザー(草分け)であり、トレンドセッターでもあった訳だが、この後セリーヌ・ディオンの影響を受けて、多くの超スーパースター達がシーザーズパレスのみならず、他のカジノ・ホテルのショ―・シアターで「レジデンシ―」を始めることになった。
エルトン・ジョン、シェアー、ベット・ミドラー、ロッド・スチュアート、シャナイア・トゥエィン、ザ・フー、リーバ・マッケンタイヤ―、ブルックス&ダン、ブリットニ―・スピアース、ジェニファー・ロペス、グエン・ステファニ、ピット・ブル、クリスティーナ・アギレラ、レディ・ガガなど。

赤いバラの花束と一本の白いバラ

セリーヌの亡き夫は公演の後、いつも赤いバラの花束を彼女にプレゼントしていた。

特別な日には、白いバラを一本だけ加えたそうだ。

セリーヌは今でも、このコロシアムの中にレネーのエネルギーの存在が感じられると思っている。

最後のショウのこの日もレネーが一緒だったと。

30名のバンドメンバー一人一人にブーションの時計(時価約$6,000)をお別れのギフトとして贈呈したそうです。ブーションの時計は亡き夫のレネーが好んで身に着けてたそうですよ。

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Las Vegas Review Journal HP

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