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イーブル・ライブ!バイクでスタント・ジャンプにチャレンジ!
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イーブル・ライブ!バイクでスタント・ジャンプにチャレンジ!

【画像はHistory Channelyより
Xゲームで11個のゴールド・メダルを獲得した、スタント・バイクで超有名なトラビス・パストラナ氏が本日7月8日2018年、イーブル・クニ―ブル氏が長年に渡って挑戦してきた3つのジャンプを1日でやってのける事に成功した。スポンサーは、会場を提供しているシーザーズ・エンターテイメント社、パストラナ氏が発起人として始めたナイトロ・サーカス、放送を担当するケーブル局のヒストリー・チャンネル。
クニ―ブル氏が現役であった50年数年前と比べれば、バイクの質も何もかも進歩してるから、今回の挑戦の方がいくらか簡単であるだろうと言うのが一般的な見方だ。ただ、50年前にクニ―ブル氏が使ったバイクはハーレーの150キロ以上ある重いものだったが、今回パストラナ氏が使用しているバイクはIndian Scout FTR750をベースにしたものに少々のモディファイをかけたもので、ハーレーと類似している。重さも何キロも変わらず、少々パワーがあるくらいである。飛ぶ距離もクニ―ブル氏の時よりも長くしてある。しかし、全く簡単に飛んでいるように見えた。楽勝だ。

その3つ「ジャンプ」とは、
1)3段に重ねた計52台の乗用車(36メートル)
2)16台のグレイハウンド・バス(47メートル)
3)シーザーズ・パレスの正面玄関前の噴水(43メートル)


このジャンプが成功するとか、バイクの性能などの話はどうでもよいと思うが、このようなスタントをショウとして観客を集め、テレビ放映をしてもスポンサーが付くのは驚いた。その昔、バッファロー・ビルという人がいた。聞いたことがあるひとも多いと思う。原住民のインディアンを連れてショウをした。ヨーロッパまで行ってショウをして稼いだ。アメリカのエンターテイメントの神髄かと思う。バイクでのスタントをショウとして確立させたのが、クニ―ブル氏であった。今では、Xゲームやナイトロ・サーカスなどで紹介されている「Daredevil(デアデビル)=命知らずの、向こう見ずの人」が視聴率を集め、ファン層拡大に成功を収めている。卑劣な話で恐縮だが、2015年にナイトロ・サーカスで有名だったエリック・ロナー氏がスカイダイビング中に事故死した。この悲劇がまたナイトロ・サーカスに火をつけたようだ。私がまだ子供の頃、日本では「風雲、たけし城」のテレビ番組があった。あの収録は、今となってはアメリカでアメリカン・ニンジャ・ウォリアーズで有名となった「緑山スタジオ」からだったのだろうか?実は、この番組はアメリカのケーブルでも10年程前までやっていた。実に面白い吹替を天才たけしさんとそのまんま東さんのセリフに合わせて英語で聞いた覚えがある。題名はMost Extreme Elimination Challengeだった。

イーブル・クニーブルについて

1938年モンタナ州ビュート生まれ。本名はロバート・クレイグ・クニーブル。
ロデオやスキー・ジャンプでチャンピオンになる。陸軍に入隊する。セミプロのホッケーチーム「ビュート・ボンバーズ」を地元で結成する。そんな彼が生計の為に1966年から始めたのがバイクによるスタント・ショウであった。クニーブル氏は、2007年11月30日に69歳で亡くなった。生涯骨折回数433回のギネス認定記録を持つ男。本当に不死身である。首の骨だけは骨折したことがないそうだ。

イーブル(邪悪な、邪な)のニックネームの由来

    当時悪かった若き日のクニ―ブル氏は1956年にバイクで警察のパトロール車に追跡され、事故を起こして収監される。同じ房に「オーフル・ノーフェル」と言うニックネームの不良少年がいた。その真似をして自分でEvel(イーブル)と名乗るようになったが、邪悪の意味であるイーブルはEvilとスペルを間違っていたのはただの語呂合わせなのか?

主な挑戦

  • 1967年12月31日に行われたイーブル・クニ―ブル氏のシーザーズの噴水ジャンプ。クニ―ブル氏が瀕死の重傷を負ったジャンプとして50年程たった今でも語り継がれている。骨盤、大腿骨、手首、両足首を骨折し、脳震盪を負った。このジャンプは失敗に終わったが、このジャンプのお蔭で今までより一層有名になり、テレビのギャラも増えた。
  • 1973年11月、ロスアンジェルス・メモリアル・コロシアム(カリフォルニア州)で重ねられた50台の乗用車のジャンプに成功。
  • 1975年5月26日、ロンドンはウエンブリー・スタジアムにて、9万人の観衆を前に13台のバス(噂では、ロンドンのダブル・デッキのバスと言われたが、実際はシングル・デッキのバスであった)をジャンプするスタントを披露。だが、失敗。再度、骨盤を骨折していたが、担架に載るのを断り、歩いて本部へ戻った。「歩いてここに来たんだ。歩いて戻るよ」。
  • 1975年10月25日、キングス・アイランド(オハイオ州)でグレイハウンド・バス14台のジャンプに挑戦し成功。記録上、ジャンプ成功とはなっているが、14台目の上に設けてあった台の上のセーフティに着地している。

関連情報

  • Las Vegas Review Journal公式HP
  • Indian Motorcycle公式HP
  • Nitro Circus公式HP
  • History Channel公式HP
  • ここでご紹介している内容は作品の副次的な視点提供を目的として引用しています。
    著作権は作者及び出版社に帰属しています。

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